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CHIEKOの無駄口

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3月30日(水)   曇り一時雨

こちらは比較的暖かい日が続いているのに、日本はまだ寒いみたいで…。
先週の日曜日、Faustin家で撮った写真をアップします。
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洋ナシの花。
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桜の花。
春は必ずやって来る。
by chie_miko | 2011-03-31 04:53 | Faustinとその仲間 | Comments(0)

3月27日(日)   曇り

相変わらず頭の中ではいろんな考えが巡り、おまけにGlobokar氏の作品の練習でもっと頭がパー?になり…という毎日ですが、そんな中、「ボリビア移民の真実」(寺神戸嚝著、芙蓉書房出版)を読んだ。
著者、寺神戸嚝氏はBruxelles在住のガンバ奏者、上村かおりちゃんのご主人であるヴァイオリニスト、寺神戸亮くんのお父様。この本は、かおりちゃんから借りたもの。
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亮くんのお父様、寺神戸嚝氏は、現在のJICA国際協力機構の前々身の財団法人日本海外協会連合会のメンバーとして1959年~1965年、ボリビア移民とともにボリビアに在任。この間のことを書き綴ってある。(1961年生まれの亮くんはボリビア生まれ。)
出来事を淡々と語っているけれど、さぞかし大変な毎日だっただろうと思う。ちょっと特殊な内容?だけれど、何の予備知識もなくすんなり読める。「そうか、こういう世界があったんだ…。」って。
興味のある方、読んでみてください。
by chie_miko | 2011-03-27 19:52 | Comments(0)

3月24日(木)   晴れ

また少しアルメニアの事を…。一日二時間くらいしか電気も点かないし、物も無いので、街中のレストランもほとんど営業できない状態だった中、「こんな大変な状況なのに、来てくれて本当にありがとう。」と、エレヴァンにある、大学の日本語学科の先生や学生さんたちが、順番にお宅にお食事に招待してくれました。私たちはそれなりのホテルに泊まっていたので、ホテルのレストランで食事はできたけれど、食べられるものはどうしても限られる。みなさんの好意はとてもありがたかった。2週間滞在するうち、半分くらいはどこかのお宅に呼ばれていたような。
真っ暗な中にランプを灯し、ガスバーナーでお料理。アルメニアワインだって、あの頃は外貨を稼ぐために、みんな国外に出してしまうので、アルメニアに居ながら、土地のワインにはお目にかかれなかった。アルメニアン・コニャックも無くて、でも暖房が無くて寒いから、安物のウォッカを飲んで暖まる。みんなで集まっている時に、急に電気が点いた時には、思わずみんなで歓声を挙げて拍手。
きっとみんなとても無理して頑張ってくれたんだと思う。市内にある動物園(あの頃は大した動物はいなかったらしいけど。)の鹿が密猟されるくらい、動物性たんぱく質が手に入りにくかった時代。
毎日良く歩いたけど、ぼろぼろのタクシーにも何度か乗った。一度は一台のタクシーに8人で乗ったことも。(みんなで重なり合って乗りました。)
3年半ちかく経ってから二度目に行った時は、まだまだ大変ではありながらも、もう随分状況が良くなっていて、電気はちゃんと点いてたし、お昼頃になると道端の窓口が開いて、アツアツのピロシキが買えたり。窓口が開く前からみんなが並んで待っている。私も二日に一回くらいの割合で並んでました。
by chie_miko | 2011-03-25 07:24 | アルメニア | Comments(0)

3月19日(土)   曇り

相変わらずUSTREAMやら、新聞のサイトやら、何が変わるわけでもないのにコンピューターの前にかじりついてます。フランス人の知り合いからも「大丈夫?どんな具合?」って。中には2度目、3度目の人もいて。特に今日は、仏軍がリビアへの攻撃を始めたこともあり、日本のニュースに割く時間が少なくなり、みんな「で、日本では何て言ってる?」
ちょっとしたブログの記事を見つけました。お時間のある時にちょっと覗いてみてください。

「祈ってください」とのメール(『オバハンからの気まぐれブログ』より

東北関東大震災で義心を感じる人へ 持続不可能な感情と継続可能なシステムについて (『じゃがめブログ』より)

フランス人の友人たちから、寄付はどこにしたらいいの?という問い合わせがけっこうあり、みんな「フランスの赤十字より、日本の方へ直接届くようにしたい。」というので、在仏日本大使館の義勇金に関するページを送りました。
私自身に、義勇金を送ったりできるような余裕も無いのが悔しいけれど、少しでも何かの役に立てれば、と思います。
by chie_miko | 2011-03-20 06:52 | Comments(0)

3月18日(金)   曇りのち雨

1994年のアルメニア、止められたチェルノブイリ型の原発が動かせないために、電気が点かなかった。(何故動かせなかったのか、理由は忘れちゃった…。)1988年の大地震で傷んだ、空港の滑走路から道路、歩道、建物の階段なども修復が全くできていない状態でした。
モスクワからは首都エレヴァンに、アエロフロートの飛行機が毎日飛んでいたけれど、ヨーロッパからはパリ―エレヴァン間、週一往復だけ。それもアルメニア航空の機種は旧ソ連のイリューシンのお下がり。外側は綺麗に補修されていたけれど、中はボロボロでした。そしてエレヴァンの空港の、最低限の灯りがかすかに点いていただけのボコボコの滑走路に、滑走路の傷んだ部分を避けながら見事着陸!凄い!でもどうやらあの頃は、アルメニア航空の持つ機体は、一機だけだったようで、間違ってもトラブルを起こせない!!!
夜に外を歩く時は、一緒だったみんなで懐中電灯で歩道を照らしながら、あちこちに開いている穴に足を取られないように歩きました。信号だって全部止まっていた。ボロボロの車が、粗悪ガソリンのせいで真っ黒の排気ガスを出しながら走っていて。(たくさん不純物が含まれているような粗悪ガソリンを売るトラックが、市街地から一歩出たあちこちに停まっていて、バケツで量り売りをしてました。
そんな中、公共交通機関がマヒ状態のエレヴァンの人たちは、2時間くらい歩いてコンサートに来てくれました。確かに、働きたくても明るいうちしか働けなかったし…。
着いた当日に招待された、国連関係の人の家が高層ビルの24階で、当然停電中だったのでエレベーターは使えない。(いつ停電するかわからないので、たとえ停電中じゃなくても、怖くてエレベーターは使えません。)真っ暗なあちこち崩れている非常階段を、懐中電灯で照らしながら24階まで上がった。
生活がとても大変な状況だったけれど、みんながとても助け合って暮らしてました。
by chie_miko | 2011-03-19 07:30 | アルメニア | Comments(0)

3月17日(木)   晴れのち曇り

USTREAMにくぎ付けになっていたところで何が変わるわけでもなし、何ができるわけでもないのはよ~く解っているのだけれど、家にいて、練習していないときにはつい、USTREAMを付けっぱなしにしてしまう。
心配してくれているこちらの友人たちから、相変わらず電話、SMS、メールが来ている。中には、「寄付金の宛先を教えて欲しい。」とメールしてくれた友人夫婦も。ありがたいことです。
被災地の方々、原発周辺で避難を余儀なくされている方々、さぞかしご不自由されていることと思います。寒いし。一日でも早く「日常」を取り戻されるように、心から願っております。
最初にアルメニアの首都、エレヴァンに行った時の事を思い出しています。1994年11月半ば。もう初雪も降った後でけっこう寒かったです。アルメニアは1988年に大きな地震にみまわれ大被害を受け、復興もままならないうちに、1991年ソ連の崩壊。アゼルバイジャンと、その中にあるアルメニアの飛び地との戦争で、石油が全く入ってこなくなり、とても大変の状態でした。それでも私が行った1994年には、状況はずいぶんマシになっていたのだけれど、それでも一般家庭で一日2時間くらいしか電気が点かず、暖房は無いに等しい。それでも私たちは、それなりに良いホテル(ほとんどのホテルは営業できずに閉まってました。)に置いてもらっていたので、もう少し電気は点いた。Parisから蝋燭と懐中電灯を持っていっていたので、夜電気が点かないと蝋燭を点けました。各部屋にあるシャワー、お風呂も、電気が消えると水も出なくなるので、電気が点いた時にあわててシャワー。一度はコンサートが終わって帰ってきてみたら電気が点いていたので、みんなそれぞれ急いでシャワーしはじめたら停電。これまた大騒ぎだった。何故か私の部屋だけは何故か水だけは出たので、ちょうど髪を洗っていた私は、冷たかったけど、さっさとシャンプーを流して出たのを覚えています。
コンサート会場は一応、優先的に電気をまわしてもらえるように手配してあったそうだが、私が歌っていた途中で明かりが消えた。すぐさま蝋燭が出て来たけど。
懐中電灯は外を歩く時に主に使い、ホテルにいて夜停電している時には蝋燭を1本立てて2週間過ごしました。こんな生活をしたことはなかったけど、ずっと蝋燭の炎を見つめていて、「火」というものの暖かさが心に染みていくように感じました。滞在期間中が、ちょうど半月くらいから満月を挟んでの2週間だったので、現地の人たちに、「夜が明るい時に当たってよかったね。」と言われたっけ。
最初にアルメニアに行った時の事、しばらく忘れていたけれど、今回、突然思い出しました。
日本人みんな、頑張って!!!
by chie_miko | 2011-03-17 08:36 | アルメニア | Comments(2)

3月13日(日)   曇り

家に居る間はUSTREAMをほとんど流しっぱなしにして、日本のニュースを見ています。本当に大変なことで…。言葉かありません。亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、行方不明の方々が、出来るだけ早く無事で救出されますように、そして避難所で不自由な生活を余儀なくされていらっしゃる方々に、心からエールを送ります。救助活動に関わってる方たち、頑張って!
時々書き込みをしてくれるtama殿のブログに、阪神大震災経験者の方の文章がアップされていたので、ここにコピペさせていただきます。


・これから夜になるとき。
阪神大震災で最後に最大に悲惨に襲った災害は、「治安悪化」による「人災」です。
大切な人を守ってください。
一人でいる人は、最寄りの知り合いと小さくても良いのでコミュニティを作りましょう。

・避難した女性の方。
絶対に一人で公衆トイレに行かないで。
便乗する性犯罪者がいます。
常に誰かと行動して、トイレも二人以上でいくようにしてください。

・赤ちゃんがいる方。
赤ちゃんの頭にタオルでも何でもいいので、クッションになるようなものを置いてください。
阪神大震災で、テレビが飛んできて死亡した乳児がいました。
彼の死を無駄にしないで。

・電話の使用は極力避けてください! 
非常の為の119番や110番がかかりづらくなっています。
 
・地震が起こったら、必ず窓を開けてください。
そして、家にいる人は、水道が止まる前に、お風呂に水をためてください。
まだ、電気が通じる人は、ご飯を炊いてください。
阪神淡路大震災の経験から、皆さんに伝えます。

・停電をした地域は、必ずブレーカーを全て落としてください。
また避難する際も絶対にブレーカー落としてください。
送電時に火災になって家が燃えてしまいます。
停電から復旧した瞬間ショートして火災というケースも多いようですので、停電してても落としてください。
通電されたら小さなブレーカーを一つづつ入れて下さい。
漏電ブレーカーが落ちるようでしたら、無理に入れず、電気事業者等に連絡をとって下さい。

・ガスの元栓をしめてください。
ガスが充満すると静電気だけで大爆発が起こります。

・断水の可能性がありますので、お風呂に水をためてください。
飲料水の確保もお忘れなく。
ネットが使えるうちに自分の住んでる地区の避難場所を確認してください。

・足元数十センチの津波でも足をすくわれ一気に沖合まで流されます。
絶対に見物などには行かないようにしてください。

・車のトランクにタイヤ交換用のジャッキがついているはずです。
瓦礫の下敷きになっている人を救助する場合、かなり重要になってきますので、提供をお願いします。

・室内に居る時も、履物の確保をしてください。
ガラスの破片で足を怪我すると、命取りです。

・避難する時は、雑誌を頭に載せてタオルやシャツで包むだけでも
簡易ヘルメットになります。
おなじように足に巻けば、履物になります。


フランス人の友人たちから、お見舞いの電話、メール、SMSをたくさん頂きました。ご心配をおかけしましたが、実家の父親は元気です。

全てを失った第二次世界大戦後、短期間で世界のトップのまで上り詰めた日本です。遠くに居て、言葉で言うのは簡単だけれど、私は日本人の強さを信じています。
頑張れニッポン!!!
by chie_miko | 2011-03-13 20:31 | Comments(3)

3月10日(木)  曇り

やっと今、移調が終わった…。ふぅ。「移調」と書いたけど、調性のない曲で、果たして「移調」というのかな?と思ったりして。(仏語ではTransposition。)このGlobokar氏の曲、最初に「Transpositionをしてもよい。」と書いてある。先日、氏のお宅に伺った時も、「Transopositionしていいからね。」と本人が念を押していた。
考えてみると、現代曲の無伴奏声楽ソロ曲で、ちらほらと作曲家自身が「移調可能」と書いている曲を見る。いわゆるフランス歌曲の世界では、普通に移調可能とされるのはFaureまで。Debussy以降は、常識的に移調はしない。Faureあたりでも、たとえ移調された楽譜が出版されていても、私は個人的に、できるだけオリジナルの調性で歌いたいと思っている。作曲家があえて選んだ、その調での独自の和声の響きを大切にしたいから。
ビシバシの現代曲になって、調性から完全に離れてしまい、作曲家の求める効果が全然別なところにあると、そのあたりまで自由になってしまうのかな?
by chie_miko | 2011-03-10 23:01 | Comments(2)

3月9日(水)   曇り

Globokarの作品二つのうち、一つを移調している最中。どうしても高い。譜読みしながらずっと迷っていたのだけれど、Mezzoの私が迷っていたからって、いきなりSopranoになるわけでもなし、迷っている分、時間ばかりたってしまう。高いところから低いところまで音がちりまくっている。一音(長二度)下げても低い方はまだまだ大丈夫。
決めたのは良いけど、絶対音感があったりする私は(大した絶対音でもないんだけど、一応。)、ここまで音が飛びまくっている曲を、頭の中で移調しながら譜読みをしていくなんて、あまりにも大変すぎる。譜面を作り直さないと…。
さてどうやって作り直すか。新たに全て書き直すのも、あまりにも大変。しばらく考えた後、自分の勉強用に拡大コピーした楽譜の音符の玉の部分だけを、修正液のホワイトで消して書き直している。いろいろ考えた中で、多分これが一番良い方法だと思って。
よい方法のはずなんだけど、これまた修正液の臭いで気分が悪くなってくる。続けてやってられない。寒くても窓を開けっ放しでやっているのだけれど…。
明日中になんとか移調を終わりにしたいと思います。
by chie_miko | 2011-03-10 07:50 | Comments(0)

3月6日(日)   晴れ

今朝、上海に帰って行ったさおりちゃん。昨晩は彼女と私で荒木家にお呼ばれ。いつものようにアラーキーシェフが腕をふるってくださり、美味しい鴨料理をいただきました。アラーキーシェフ、いつもいつもありがとうございます。
昨晩は仕事で一緒に荒木家に伺えなかったFaustinが今朝電話をしてきた。「何食べた?」「鴨。美味しかったよ~。」
さおりちゃんを送り出して、午後はCite Universitaireのスイス館であったコンサートに。本当に久しぶりのCite Universitaire。日本館のすぐ脇にあるスイス館は、Le Corbusierの設計。あっさりとさりげなく、洒落た建物。コンサート自体はとても実験的な内容。
コンサートも興味深かったのだけれど、今日の一番の収穫は、演奏をしていた、知り合いの打楽器奏者Philippeに貴重な情報をもらったこと。
演奏するために勉強し始めたGlobokarの二作品のうちの片方は、歌いながらいくつかの小さな打楽器を使う。そのうちのひとつ、Crecelles(日本語ではガラガラ?)が、普通に売っているような、片手で振り回しながら音を出すものではなく、机に付けてハンドルを回して音を出すタイプを使わねばならない…、ということが、先日Globokar氏のところに行った時に判明した。それからParisの楽器屋さんやネットでいろいろと探してみても、どうしてもみつからない。手に入るものなのかどうか、打楽器奏者に訊いてみるのが一番!
Philippeに説明したところ、即答してくれた。「あ、それはオーケストラ用のやつ。Strasbourgの近くの専門店『Rythmes et Sons』で売ってるよ。注文すれば送ってくれるはず。」
家に帰って来て、さっそく検索。あった!楽器もあった!! 素晴らしい!!! 即座に注文。よかった…。
ということで、あとはひたすら勉強するだけなんですけど、なにしろ難しくて…。
by chie_miko | 2011-03-07 05:53 | Comments(3)