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CHIEKOの無駄口

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6月23日(月)   晴れ

6月23日(月)   晴れ_f0042370_23364019.jpg今回のEURO、フランスが駄目だったというだけでなく、なんだかごちゃごちゃと野暮用が多く、あまりちゃんと試合を観られていない…。CANの時はあんなに一生懸命観ていたのに…。変なの…。
今日はちょっとマジに、NYに住むLeileiと彼女のご両親のことを。先日のReims、CecileのExpositionのVernissageで初めてお会いした。お父さま、もう85歳と言ってたかな?でもとてもお元気で(お母さまは10歳年下)、そんなお年には全く見えない。元物理学者で、戦前、日本の東工大で教鞭をとっていらしたそうな。その後中国に帰り、文化大革命の影響で南京から物凄い田舎に飛ばされるはめに。Leileiはその田舎で第三女として生まれた。「ど田舎で何も無くて…。履く靴もなかったから裸足で畑の中を走り回ってた。」(Leilei言。)学校も無かったから姉妹三人、お父さまに全部教えてもらっていた。6月23日(月)   晴れ_f0042370_23372555.jpgLeileiが6歳の時に南京へ戻され、お父さまもそれなりのポストに復職。そこでLeileiは音楽を始めた。彼女は16歳の時に北京音楽院に入学。お父さまはアメリカの大学のポストに就くことになり、ご両親と二人のお姉さんたちはNYへ。北京音楽院在学中、彼女は計5回、中国政府に「家族に会いに行くために」アメリカ行きのVISAを申請したけれど人質同様の彼女にはVISAはおりず。いつもご両親が彼女に会いに中国に戻ってくる形に。とても優秀なLeileiに海外留学の話が出てもアメリカだけは駄目。結局彼女はスウェーデンに。そこでフランス人(数学者)と結婚してToulouseにしばらく住んだ後、離婚してParisに出てきた。
ご両親は旧体制の中国ではそれなりのご家庭の出身。お母さまは文化大革命の時、北京の広場で自分の持ち物を、群集の前で火の中に投じなければならなかった経験を持ったと聞いた。Reimsで「日本には6年住みました。日本語、全部忘れてしまった…。」と日本語で私と言葉を交わしたご両親。「墨田区に住んでいました。」
政治の事とか難しくて簡単にコメントなんて書けない。同じ東洋人で、中国と日本なんて隣同士なのに「遠いなぁ。」って。
写真はFaustin家のアジサイ。
by chie_miko | 2008-06-23 23:48 | Comments(2)
Commented by tama at 2008-06-25 16:40 x
私にも沢山の中国人の友達がいるけど、言葉ではいつくせない別の世界で生きているような気がします。
同じアジアなのにね。

Commented by chie_miko at 2008-06-25 16:51
>tama殿。
私にはあまり中国人の友人がいません。香港出身で仲良くしている家族がいるけど、香港はまた別でしょ?中華人民共和国からの知り合いはLeileiだけ。彼女も今はフランス国籍を持ってるしね。う~ん、遠いです。