CHIEKOの無駄口

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カテゴリ:アルメニア( 5 )

5月27日(水)   晴れ

今年、2015年は1915年にトルコで起こったアルメニア人大虐殺からちょうど100年。世界中あちこちで追悼のセレモニーが行われている。バチカンでも法王がアルメニア人のために特別なミサを行ってくれたし、フランス国内でも、前回私が日本に行っていた間に毎年4月末に行われるParisのNotre-Dameでのミサ、その次の週の日曜日に行われるLyonでのミサ、そして特別にCarcassonneで行われたミサと続いていた。本来なら私もあちこち動いてソロパートを歌わねばならなかったのだけれど、どうしても日本に行かねばならなかったので仕方がない。
そして24日(日)、やっとParisのアルメニア教会のメンバーと一緒に、Lisieuxでのミサに参加することができた。アルメニア教会のミサではなく、Lisieuxのカテドラルで行われたミサにアルメニア教会が招かれた形で、普通のカトリックのミサの中で数曲、アルメニアの教会音楽を披露した。
朝7時前に我が家のすぐ近くにあるParisのアルメニア教会を車で出発し、10時少し前にLisieuxに到着。10時半からのミサの後は昼食のお招きを受け、その後もいろいろなセレモニーに参加し、Lisieuxにを出たのが夕方5時過ぎ。真っ直ぐ帰途に着くと思いきや、神父さまが「せっかくだから海を見に行こうよ。」と言い出し、Deauvilleまで。海岸沿いのCaféで休憩してから帰ってきた。家に着いたのは夜の11時過ぎ…。
疲れたけど、とりあえずお役目が遂行できてよかったです。
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by chie_miko | 2015-05-28 05:56 | アルメニア | Comments(0)

12月17日(土)   晴れ時々雨

風邪引きながらも先週末、アルメニアのミサのためにNantesに行ってきました。ミサ自体は日曜日の朝11時からだったのですが、その時間に間に合うTGVが無く、前日、土曜日の午後にNantes入りしました。
今現在もひどい声をしていますが、先週末は本当に最悪で、Faustinに「自分のコンサートじゃないんでしょ?キャンセルしたら?」と言われたくらい。でも頑張って行った…。
ミサはNantesでの東方カトリックに関するフェスティバルの一環で、展示会や講演会などもやっていた。
土曜日の夜は、外に夕食を食べに出てから講演会に行った、他のメンバーとは別に、私はParisからお弁当を持って行って、ずっとホテルに籠っていた。(お弁当を食べた後、TV観ながらDSやってました。)
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コンパクトなビジネスホテル型のお部屋でしたが、清潔で、狭いながらも廊下などに、それなりの装飾がほどこされていて、きちんとした感じでした。
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ミサの時も…声は無かった…。仕方ないです。できるだけのことはしました。
ミサの後は教会の主要メンバーと一緒にバイキングの昼食会。アルメニア家庭料理を教会関係者がたくさん作って持ち寄ってくれて。Lyonでのミサの時もそうですが、こういうアルメニア料理って、レストランでは食べられない本物の家庭料理。このお料理をご馳走になるためにお手伝いに行くようなもので。(今回は情けない声でごめんなさいでした。)
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写真は一枚目、二枚目がホテルの廊下の装飾。三枚目はミサの行われたSaint-Nicolas教会。
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by chie_miko | 2011-12-18 02:47 | アルメニア | Comments(0)

3月24日(木)   晴れ

また少しアルメニアの事を…。一日二時間くらいしか電気も点かないし、物も無いので、街中のレストランもほとんど営業できない状態だった中、「こんな大変な状況なのに、来てくれて本当にありがとう。」と、エレヴァンにある、大学の日本語学科の先生や学生さんたちが、順番にお宅にお食事に招待してくれました。私たちはそれなりのホテルに泊まっていたので、ホテルのレストランで食事はできたけれど、食べられるものはどうしても限られる。みなさんの好意はとてもありがたかった。2週間滞在するうち、半分くらいはどこかのお宅に呼ばれていたような。
真っ暗な中にランプを灯し、ガスバーナーでお料理。アルメニアワインだって、あの頃は外貨を稼ぐために、みんな国外に出してしまうので、アルメニアに居ながら、土地のワインにはお目にかかれなかった。アルメニアン・コニャックも無くて、でも暖房が無くて寒いから、安物のウォッカを飲んで暖まる。みんなで集まっている時に、急に電気が点いた時には、思わずみんなで歓声を挙げて拍手。
きっとみんなとても無理して頑張ってくれたんだと思う。市内にある動物園(あの頃は大した動物はいなかったらしいけど。)の鹿が密猟されるくらい、動物性たんぱく質が手に入りにくかった時代。
毎日良く歩いたけど、ぼろぼろのタクシーにも何度か乗った。一度は一台のタクシーに8人で乗ったことも。(みんなで重なり合って乗りました。)
3年半ちかく経ってから二度目に行った時は、まだまだ大変ではありながらも、もう随分状況が良くなっていて、電気はちゃんと点いてたし、お昼頃になると道端の窓口が開いて、アツアツのピロシキが買えたり。窓口が開く前からみんなが並んで待っている。私も二日に一回くらいの割合で並んでました。
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by chie_miko | 2011-03-25 07:24 | アルメニア | Comments(0)

3月18日(金)   曇りのち雨

1994年のアルメニア、止められたチェルノブイリ型の原発が動かせないために、電気が点かなかった。(何故動かせなかったのか、理由は忘れちゃった…。)1988年の大地震で傷んだ、空港の滑走路から道路、歩道、建物の階段なども修復が全くできていない状態でした。
モスクワからは首都エレヴァンに、アエロフロートの飛行機が毎日飛んでいたけれど、ヨーロッパからはパリ―エレヴァン間、週一往復だけ。それもアルメニア航空の機種は旧ソ連のイリューシンのお下がり。外側は綺麗に補修されていたけれど、中はボロボロでした。そしてエレヴァンの空港の、最低限の灯りがかすかに点いていただけのボコボコの滑走路に、滑走路の傷んだ部分を避けながら見事着陸!凄い!でもどうやらあの頃は、アルメニア航空の持つ機体は、一機だけだったようで、間違ってもトラブルを起こせない!!!
夜に外を歩く時は、一緒だったみんなで懐中電灯で歩道を照らしながら、あちこちに開いている穴に足を取られないように歩きました。信号だって全部止まっていた。ボロボロの車が、粗悪ガソリンのせいで真っ黒の排気ガスを出しながら走っていて。(たくさん不純物が含まれているような粗悪ガソリンを売るトラックが、市街地から一歩出たあちこちに停まっていて、バケツで量り売りをしてました。
そんな中、公共交通機関がマヒ状態のエレヴァンの人たちは、2時間くらい歩いてコンサートに来てくれました。確かに、働きたくても明るいうちしか働けなかったし…。
着いた当日に招待された、国連関係の人の家が高層ビルの24階で、当然停電中だったのでエレベーターは使えない。(いつ停電するかわからないので、たとえ停電中じゃなくても、怖くてエレベーターは使えません。)真っ暗なあちこち崩れている非常階段を、懐中電灯で照らしながら24階まで上がった。
生活がとても大変な状況だったけれど、みんながとても助け合って暮らしてました。
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by chie_miko | 2011-03-19 07:30 | アルメニア | Comments(0)

3月17日(木)   晴れのち曇り

USTREAMにくぎ付けになっていたところで何が変わるわけでもなし、何ができるわけでもないのはよ~く解っているのだけれど、家にいて、練習していないときにはつい、USTREAMを付けっぱなしにしてしまう。
心配してくれているこちらの友人たちから、相変わらず電話、SMS、メールが来ている。中には、「寄付金の宛先を教えて欲しい。」とメールしてくれた友人夫婦も。ありがたいことです。
被災地の方々、原発周辺で避難を余儀なくされている方々、さぞかしご不自由されていることと思います。寒いし。一日でも早く「日常」を取り戻されるように、心から願っております。
最初にアルメニアの首都、エレヴァンに行った時の事を思い出しています。1994年11月半ば。もう初雪も降った後でけっこう寒かったです。アルメニアは1988年に大きな地震にみまわれ大被害を受け、復興もままならないうちに、1991年ソ連の崩壊。アゼルバイジャンと、その中にあるアルメニアの飛び地との戦争で、石油が全く入ってこなくなり、とても大変の状態でした。それでも私が行った1994年には、状況はずいぶんマシになっていたのだけれど、それでも一般家庭で一日2時間くらいしか電気が点かず、暖房は無いに等しい。それでも私たちは、それなりに良いホテル(ほとんどのホテルは営業できずに閉まってました。)に置いてもらっていたので、もう少し電気は点いた。Parisから蝋燭と懐中電灯を持っていっていたので、夜電気が点かないと蝋燭を点けました。各部屋にあるシャワー、お風呂も、電気が消えると水も出なくなるので、電気が点いた時にあわててシャワー。一度はコンサートが終わって帰ってきてみたら電気が点いていたので、みんなそれぞれ急いでシャワーしはじめたら停電。これまた大騒ぎだった。何故か私の部屋だけは何故か水だけは出たので、ちょうど髪を洗っていた私は、冷たかったけど、さっさとシャンプーを流して出たのを覚えています。
コンサート会場は一応、優先的に電気をまわしてもらえるように手配してあったそうだが、私が歌っていた途中で明かりが消えた。すぐさま蝋燭が出て来たけど。
懐中電灯は外を歩く時に主に使い、ホテルにいて夜停電している時には蝋燭を1本立てて2週間過ごしました。こんな生活をしたことはなかったけど、ずっと蝋燭の炎を見つめていて、「火」というものの暖かさが心に染みていくように感じました。滞在期間中が、ちょうど半月くらいから満月を挟んでの2週間だったので、現地の人たちに、「夜が明るい時に当たってよかったね。」と言われたっけ。
最初にアルメニアに行った時の事、しばらく忘れていたけれど、今回、突然思い出しました。
日本人みんな、頑張って!!!
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by chie_miko | 2011-03-17 08:36 | アルメニア | Comments(2)